2019.11.29

荒金 大典

デザインは今をつくり、
アートは未来をつくる。

デザインとは、「そもそも何のためにものを作るのか」「達成したいことは何なのか」ということを明確に言語化して、そのためにベストと思われる表現方法を開発したり選択したりするような、コンセプトワークです。

 

クライアントから降って来たミッションに対して、なんとなく素敵に仕上げて満足するようなデザインには、未来はないと思ってます。これからのものづくりは、生活者にとってどんな利益をもたらせるのか、明確に言語化して、デザイナーを含めチーム全員がそれに向かってベストをつくすようなものでなくては、価値の低いものができてしまうし、そもそも価値の低いものは、それを作る資源やエネルギーや時間を考えたら作らないほうがマシ、という時代に入っていると思います。作る前に思慮深く計画すること。こんな当たり前のことがますます重要になってきていると思います。

 

他方で、アートの重要性も高まって来ていると思います。アートはデザインの逆で、あらかじめ明確な目的が無く、その場その場で考えながら何かを作り進めることです。今の経済には馴染まないモノの作り方でしょう。目的や計画は、設定した瞬間から過去のものとなり、果たしてそれは制作中のいま現在も、目指すべきものであり続けているかどうかは分かりません。その点、アートは目的を明確にせずに「今できるベストを積み重ねながら作る」やり方ですので、最終的に何が生み出されるかわからないけど、生み出されるものはポテンシャルのある資産になりそうです。

 

例えば田舎町に広い原っぱを持ち、草刈りなどの手入れをすることは、アートの部類でしょう。その原っぱを美しい庭園にして人に見に来てもらうのか、景色の良いカフェにしてお客さんに楽しんでもらうのか、自治体を巻き込んでその地方のアイコンとなるような風景を育てるのか、東京でのものづくりのブランディングに役立てるのか…。どうなるのか分からないけど、足繁く原っぱに通って最大限の手入れをし続ける…。その途中で、変わりゆく時代の価値観や、その時々でやりたくなったこと、人との出会い…。それらによって、作られるものは揺れ動きながら「美」という資産に育っていくでしょう。

 

そんなものづくりが思わぬ方向に進み、経済的価値を生み出し始め、継続可能な事業になり、生活者の役に立つ。そんな順番で進んでいくようなビジネスはアーティスティックで楽しいし、これからのものの作り方の一つとして、ありなんじゃないかと思っています。

 

※いま、長野で手入れをしている土地。草刈りをすることで、植物の遷移(強い植物がスペースを支配し森に近づいていくこと)が起こりにくく、美しく豊かな多様性が生まれる。人間と自然の互恵的な接点は、昔から「手入れ」によって保たれてきた。この土地は将来どのような価値を生み出してくれるのか。ちなみにこの土地には、自然の植生以外は植え足さず、肥料もやらず、もちろん薬剤も散布しない。ナチュラルな手入れによってこの土地が元々持っている美しさを引き出すストーリーが、高い価値を生み出すだろうと今のところ考えている。

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著者: 荒金 大典

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