2025.03.12

荒金 大典

デザインと福祉。

デザインと福祉、一見遠い関係に見える二つの領域ですが、私は両者はニアリーだと感じています。

 

Thinking の「デザインは、正義の味方」の章でも述べましたが、デザインは生活者のために存在していると思います。デザインは、現在では暴走する資本主義を助長している一面もあります。しかし、たとえミッションとしては資本家にメリットをもたらすためであるとしても、根源的には、モノやコトを享受する側である一般市民の生活が豊かになることを目指しています。

 

一方で「福祉」は、基本的人権の尊重を土台としています。民主主義はものごとが多数決で決まりがちで、少数派を置いてきぼりにしてしまう性質があります。そんな中でも「より人間らしく生きていく権利は、皆が同等にもつものである」という原則に基づいて、民主主義を補完するものとして存在していると思います。

 

つまり、デザインは「資本家だけではなく生活者のため」であり、福祉は「多数派ではなく時には少数派のため」であるという、システム(資本主義や民主主義)のメインストリームではない人たちに寄り添う点で、同じような精神性を含んでいると思うのです。

 

また、近年の社会福祉法の改正により、福祉活動が担うべき役割が広がりました。従来までは、規定された福祉制度を忠実に実施することが求められていましたが、現在では、地域住民の心身の状況や置かれている環境を勘案し、創意工夫のもと、制度に関わらず様々な地域公益活動に積極的に取り組むことが求められています。

 

つまり、福祉活動に期待されているのは、「地域ごとの豊かさをクリエイティブしていくこと」であり、そこには明らかにクリエイターの力が必要とされているはずなのです。実際に日本中でいま、地域にクリエイターが溶け込み、地域ごとの課題を解決するための様々な取り組みがなされています。 (参照/Web マガジン『こここ』 byマガジンハウス

 

この流れは、若い人たちの社会参加の方法が多様化していることを示していると思います。これまでの社会参加の方法としては、選挙で投票するか、事業活動を通して社会に付加価値を提供していくことくらいだったと思います。それに対し、現在では、自らが直接地域に溶け込み、地域の課題を肌で感じ取り、できることをできる範囲でやっていく、そんな人が増えてきていると感じます。2008年の法改正により、非営利法人である「一般社団法人」の設立が簡単になりましたが、これによって、社会のために良いことをしたいと思う篤志家にとって、事業活動をしやすい環境が整ってきたことが関係しているかもしれません。

 

今後ますます急激な人口減少が進むのに伴って、今までの社会システムが終焉を迎え、「豊かさ」を再編集しなければならない時代に入っていると思います。その時に、デザイナーや編集者が大いに活躍できることがあるはずです。それは、かなり生き甲斐を伴う作業になるのではないかと、個人的には期待しています。

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著者: 荒金 大典

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