私はアートディレクションの仕事を長い間やってきましたが、AD(Art Director)と呼ばれることに対し、なぜか心のどこかでずっと違和感を感じていました。その違和感の謎が、最近ようやく解けました。リクルートグループ報『かもめ』2024年7月号のデザイン制作をしていた時のことでした。
『かもめ』の特集で扱ったテーマは「フィードバック」というものでした。その意味は「プロジェクトを進める上での、同僚や上司の意見」ということになると思いますが、特集の内容は「フィードバック」を受ける機会を有効に活用することで、アウトプットをより良いものにしよう、というものでした。
「ディレクション」と「フィードバック」はともに、プロジェクトを推進する上でとても重要なプロセスだと思います。最終的なアウトプットのクオリティを上げるためには、自分の考えだけではなく、複数の視点や、自分より経験のある人の考えが必要不可欠だからです。
では「ディレクション」と「フィードバック」、この2つの大きな違いは何でしょうか。それは「当事者意識」が誰にあるか、の違いではないかと思っています。
デザインの現場では、ADの総合的な判断に基づいて、数人のデザイナーがデザインを実行する、というスタンスが一般的だと思います。最終アウトプットのクオリティーに関しては全面的にADが責任を問われるのですから、ADが当事者意識を強く持ち、こと細かに指示を出して、ADのイメージ通りのものをデザイナーから引き出していく、そんな制作方法です。経験豊かなADの視点でプロジェクトが進むため失敗が起きにくく、効率が良い制作プロセスに感じますが、アートディレクションには以下のような弱点があると思っています。
・ADの視点に偏り、新しい視点が得られない可能性がある。
・デザイナーのモチベーションが低下し、アウトプットのクオリティーが思ったように上がらない。
ディレクションを重視した制作プロセスは、デザイナーの当事者意識が薄くなりがちです。デザイナーは納得できないままデザインを進めたり、求められているもの以上のクオリティーを出すためのチャレンジが少なくなる傾向があると思います。結果として、想定通りのクオリティーは担保しやすいかもしれませんが、ディレクターの想像を超えるようなクオリティーは引き出しにくいでしょう。
一方で、フィードバックを重視した制作プロセスは、ADではなくデザイナー側に、より強い当事者意識があることが前提となります。アウトプットのクオリティーはADだけではなくデザイナーの責任でもあるので、デザイナーはADを捕まえてアドバイスを引き出したり、場合によってはADの知らぬところで同僚や友達に意見を求めることもあるかもしれません。デザイナーが「良いものを作りたい」というモチベーションを維持しやすく、チャレンジ精神も高まるでしょう。結果として、ADが想像していたものよりも良いものができることもあるでしょうし、なによりデザイナーが楽しんでプロジェクトに向かえると思います。
冒頭で述べた「ADと呼ばれることの違和感」は、私がトップダウンでディレクションをしたい訳ではなく、デザイナーに当事者意識をもって動いてもらいながら、私はいつも、フィードバックをしたかったのだと分かったのです。
私の考えですが、いいものを作るためには、ADがいかに「ディレクション型」から「フィードバック型」のチームに移行させられるか、というマネジメント力に掛かっていると思います。チームに当事者意識を浸透させるのは、とても難しい作業かもしれません。ADが明確な目的を示した上でデザイナーに自由を与える。デザイナーが責任を持ってアウトプットを出す。ADがリスクを負ってそのアウトプットを採用する。アウトプットが社会に出る。結果が出る。デザイナーが社会と繋がっている実感を持つ。みんなで次のプロジェクトに向かう。その繰り返しによって、デザイナーの中に当事者意識が芽生えてくるものでしょう。
アートディレクターの理想像は、もしかしたら、求められた時にだけ的確なフィードバックをできる人、かもしれません。「アート・フィードバッカー」なる言葉はありませんが、私自身はそんなADになれたら良いなと思っています。